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HN:
Yumeko
おおよそ50年も前 17歳の時に
死ぬことに逃げ道を求めていた生活に区切りをつけたくて
13歳からの日記を 原稿用紙にまとめて
時給50円のアルバイトで 詩集を自費出版した
1万円を握りしめて向かった印刷やさんが
「原稿を1日貸してごらん。
おじさんが読んでみて、出してもよかったら、
1万円で本にしてあげよう。」
そうして 印刷屋さんのご厚意で出版されたこの詩集は
当時の新聞を賑わすことになり
近隣の中学校では道徳の時間に
私が在学していた高校でも 倫理の教材になったことは
私には思いがけない展開だった
自分を死に追い詰めていったそれは
生への渇望だった・・・
13歳から17歳までの
愛おしい私である
詩集のタイトルは「人ひとり」
巻頭にこう書いてある
ーそれは自分が選んだ道であったー
自分が選んだということを
私はなぜか知っていた・・・それが驚きである
久しぶりに見つかった詩集を読み返して
とてもいま おすすめできるものではないけれど
私の中に まちがいなくあの頃の私がいて
あの時の私が まちがいなく今の私につながっていると
あらためて そのあとの半世紀を思ったところである
青果市場の野菜のカゴに囲まれて書いた「はじめに」と「あとがき」で
17歳の私が こんなふうに言っている
ーはじめにー
(前略)
広い道、細い道、平らな道、デコボコの道ーとにかくたった一つの道を生きながら、私はいつかきっと自分の足跡をふりかえって撫でてみたい。そんな時が来るだろうと思っています。その時には、詩集というにはあまりにもおこがましいこれらのらくがきが、どんなに道からそれていようと、不完全な足跡だろうと、それはそれでその時の私にとってはせいいっぱいの足取りであったろうとなつかしく愛撫してやるつもりです。
(後略)
ーあとがきー
「何になりたいか。」と聞かれると、私はすぐに「平凡な人」と答える。
ひとは常に”得られぬもの”を求めるという。
私にとって「平凡な人」とは、その”得られぬもの”のひとつであるのかもしれない。
(中略)
人間にとって、その人がどんな道を通ってきたかということは問題ではないと思っている。
問題は、その道から何を得てきたか、そしてその人間の心が、それをいつか自分のものとして他人に分け与えられるだけの広さを持っているか否かにあるのではないか。
(中略)
どんな苦しみでも、自分一人が通る道ではない。この人生において、大なり小なり違いはあるが、自分と同じ種類の苦しみで悩む者がきっと出てくるはずである。その時こそ、人が過去において苦しんだことの価値を見出す時であろう。その時まで昔を思わせない”平凡な人”であることが、私の尊敬する人間像であり、また私の望む未来像でもある。
さてさて 50年が経過した今の私は、
17歳の私が望んだ未来像に
少しは近づくことができているだろうか
こんなものが出てくると
しみじみと 実感する
人生は 実に あっという間だ
ここを通過点として いよいよ
かつての私の「尊敬する人間像」をめざすことにしよう
そしていつか ここを去るときに
17歳の私に 合格点をもらいたいものだ
*これは私の13~17歳までの日記を17歳の時にまとめた詩集「人ひとり」から抜粋したものです
ー 誤 解 ー
自分の叫びを
文字をもって伝えようとするのは
簡単だけれど
淋しいなと思いながら
相手を許せる自分に満足するとき
私はそこに自己のささやかな価値を見い出す
言葉は人間が作った道具だから
時に使用者の心との間に
大きな亀裂を生じることもあるけれど
言葉をもって真の胸の内を主張せずとも
天は知れると思う心に
せめてもの安らぎを感ずる
50年たって66歳の私がこれを読んだとき、
インディアンの長老の言葉を思い出しました。
「その知恵を、若い時からずっと知っていたならば、
人生はどれほど素晴らしかっただろう、と言う人があるが、
老人のように生きる人生がワクワクするだろうか?」
せいぜい17才のこの「安らぎ」が、
私をたたかわない人生に誘ったのは確かだけれど、
私の冒険をどれだけ抑えただろうかとも思いますよ。(^v^)
どちらが正解ということではなくて、
私はそう生きるしかなかったのだと思います。
(過去の関連記事)
4/21 詩集「人ひとり」によせて
http://blog.yumekosan.com/Entry/881/
*これは私の13~17歳までの日記を17歳の時に詩集「人ひとり」としてまとめたものから抜粋したものです
「苦しい時」
苦しい時
私はいつも明日のことを思うのです
バラ色の光の中で
海辺の丘に立つ明日のことを
空を抱きしめて
草原の上に横たわる明日のことを
そして 何よりも
空と海に向かって
声を限りに叫べる明日のことを
思うのです
だから そのために
きょうの苦しみは耐えようと思うのです
そして
それはその時だけでいいのです
苦しみが去った後では
決して
すんだことは思い出さないのです
(過去の関連記事)
4/21 詩集「人ひとり」によせて
http://blog.yumekosan.com/Entry/881/
4/23 ―誤解―
(詩集「人ひとり」より)
http://blog.yumekosan.com/Entry/882/
お気に入りのこのバッグは
千葉のある方が なんと!
100均の荷造り用の麻ひもで編んでくださった
(どんなにか 手が痛かったことでしょう)
色といい 風合いといい
一目で気に入ってしまった
それを 雑貨屋シェアトに持っていったら
スナップをつけてくれ レースのふたを編んでくれて
すぐに肩にかけるクセのある私のために
持ち手の肩に当たる部分に 当て布までつけてくれた
おかげで じょうぶでかわいいこのバッグを
何年も使わせていただいている
おまけに 手作りのかわいいブローチが
このバッグに とてもよく似合っている
話は別だけれど
数年前にこのお店で買ったクマのお人形
うしろ姿はなんとも清楚・・・
なので 背中にレースの天使の羽根をつけてもらった
うしろ姿は かわいいクマちゃん天使・・・
顔もさぞかし・・と期待してひっくりかえすと・・・
がはは・・と金歯ギラギラのおばちゃん (゚Д゚)ノ
私はもちろんのこと 何年間もたくさんの人を
笑わせてくれたおばちゃん天使のギラギラ金歯が
だいぶ抜け落ちてきたので
ある時 シェアトに
じゅうぶん楽しみました♪と お返しした
すると 捨てられることなく
レジのうしろの壁のピンにぶら下げられて
そこでもお客様たちをずっと癒し続けてくれた
きょう バッグにつけていたブローチがこわれたので
修理してもらっているあいだに
そのギラギラ金歯ちゃんと目が合ってしまった (;'∀')
それで いちど手放したそれを
あつかましくも またつけてもらって・・
(こんなわがままな客も
それを大切にしてくれるお店も
ほかにはないんじゃない?)
基本のポーズは うしろ向き・・・
たとえば 電車に乗った時 座っているひとは
いやおうなしに 前に立っている人のバッグに目が行く・・
ん!♪ この子のうしろ姿を見たな!♪
と 思ったら
すかさず すました顔でひっくり返す・・・
100%の人が・・・笑ってくれる(≧◇≦)
そのギャップのおかしさに
シェアトのレジのわきで 何度も
「イナイ イナイ・・・ばぁ~!」と爆笑していたら
入ってきたお客様が
「楽しそうですね~♪」と やっぱり笑っていた
わたしのいたずら心を満たしてくれるパートナーが
また戻って参りました・・・はい♪
うしろ姿に ご用心♪
おあとが よろしいようで・・・
まぢな ひとりごとです
きょう 5月2日
42年前の今日です
GWの前に受けた胎盤機能検査の結果を待ちきれずに
三人の子どもたちが
せますぎるお腹を脱出することを決めて
動き出した日
四人が 覚悟を決めた日
明後日(5月4日) 三つ子誕生までの
文字通り 気が遠くなるような時間は
本が一冊書けるくらいの大変さだったので
省略させていただきます<m(__)m>
が・・・
心音をドップラー(木の筒)をお腹にあてて
耳で聴いていたような時代の
先生方も初体験の
日本には文献がなく
初めて学会発表となる
三つ子出産のDVDを
(そんなものは なかったけれど)
今 見たら・・・
たぶん
お医者さんは 爆笑!
私は
失神するかも まぢで
GWが明けて つまり出産後
胎盤機能検査の結果がきました
通常の1人を出産の場合
胎盤機能は100必要だと聞いていました
だから 3人なので
(4人の可能性もあり 産んでみなきゃわからないといわれていた まぢで)
「もし最低200なかったら 残念ながら
GW明けに帝王切開しましょう」
(残念なのは 学会に発表するために胎盤を破損したくなかった先生の方ですけど)
ところが 結果は
なんと! たったの 20でした!
ほとんど機能しなくなっていた胎盤に見切りをつけて
子どもたちは 自力で
出ていこう!と決めたのです
三人が ぎゅうぎゅうなお腹の中で
どんな相談をしたのやら・・・
酸欠?の3日がかりの 脱出劇・・・
考えると
胸が つまります (:_;)
生まれよう!って決めて お腹に入って
生きよう!って決めて お腹を脱出!
まぢ
生まれてきたかったんだね
お腹の中も 生まれるときも
苦しかったよね~
ほんとに よくがんばった!
私もだよ
ほんと まぢ
つづきは
「まぢ 5月3日」http://blog.yumekosan.com/Entry/898/
(前日の「まぢ 5月2日」http://blog.yumekosan.com/Entry/896/に引き続き)
「奇跡の誕生」と言っていただいたので思い出しました。
それ以前にもまだ 奇跡があったのです。
22歳で3つの婦人科系の病気があったため、
6か月間 あの痛いホルモン注射を打ち続けても快癒せず、
東京〇〇大学病院に紹介されて、そこで子宮摘出手術を受けることに。
その時、卵巣の機能を調べるために、(結果によっては卵巣もとってしまおうと)
絶対不妊と思われていたせいか、
「排卵誘発剤です」という説明もなしに、通常の倍量の薬を処方されました。
その薬の名前を知ったのは、無事子どもが生まれてから、
子どもへの遺伝性がないかどうか知りたくて、
先生に「あの薬はなんでしたか?」など、
箇条書きの質問状を出したときの返事でした。
その前の半年間続けていたホルモン注射とその誘発剤によって、
1か月後の診察予約日に妊娠が分かった時、
子どもを持たない人生設計に変更していた私はもちろん、
先生はさらに 相当ビックリでした。(゚Д゚)ノ
子どもたちは 私の子宮と卵巣と、
地獄のような生理痛から私をまもってくれました。
妊娠がわかる前から私の状態は異常で、酸欠 呼吸困難。
大学病院の大混雑の待合室の長椅子に
申しわけないけれど ハァハァしながら寝て待つ始末。
どれだけ息を吸っても、酸素が足りないのです。
家では、ダンナサマが吸うタバコが苦しくて、
窓にかじりついて「私の・・酸素を・・とらな・・いでぇ~!」と
まぢ 叫んでいましたよ。
(今なら自分で酸素吸入しますけど)
千葉からバスと電車を乗り継いで、
ひとりでよく東京の病院にたどりついたものだと思います。
その翌月の診察予約日を待ちきれず、1週間後にまた行って、
「もう・・ここまで・・来られま・・せん・・・」といって倒れ込みました。
下を向けば口からも鼻からも胃液が出てしまうような、
筋肉酸素が足りなくて歩けないような状態を見て、
「何度きいても心音がきこえないし、これは妊娠ではなく、胞状奇胎です。
母体があぶないので、すぐに処置しましょう!」ということに。
ところが、手術に入る直前に、確認のためのドップラーに
誰かの心音が、かすかに入ったのです!!!
「いるよ~!ここにいるよ~!」って必死だったでしょうね。
それで掻把されずにすみました。
病院を近くの国立病院にかえてもらって、
ひどい悪阻は終わることがなく、
歯茎はビラビラに浮き上がって
バナナを食べても出血する・・
妊娠6か月目には 臨月のお腹。
最後の2か月は 眠らず 食べず
(胃はどこかにはりついてしまったので、
す~っぱい夏みかんと赤ちゃん用のミルクを飲んでいました。)
歩けず 座れず ああ 着られるものがなく・・・(>_<)
(男性用のLサイズのゆかたなら大丈夫だろうと・・mmm
前が重ならない・・オシイ・・っていうか・・ザンネン・・アリエナイ・・)
マジックでお腹に「ここが子宮破裂します」という×印を何か所もつけられて (*_*;
腹囲135センチ、子宮口3センチひらいたままの状態を2か月間もちこたえて、
ようやくの5月2日だったのです。
難関をいくつも突破して 予定日4週間前、
ようやく ここまで たどりつきました。
どれだけ生まれたかった子どもたちでしょう!
先生に「1人助ければいいでしょう?」などと言われて憤慨して、
「足が悪くても 目が見えなくても、
命だけは全員助けてください!
そのかわり 三倍苦しくても、「痛い」「苦しい」はいいません。
痛い苦しいと言ったら、そのたび1人ずつあきらめますから!」
と 宣言してしまっていたので・・・。
きょう5月3日は 昨夜遅く陣痛室から分娩室にうつされて、
陣痛促進剤はもはや点滴ではなく「流しっぱなし状態」で、
合間のない痛みの・・まだ死闘のまっただ中・・。
そうして明日の誕生に至るのです。
まぢ 死にもの狂いの 42年前の いま!
つづきは
「いよいよ まぢです!5月4日!」http://blog.yumekosan.com/Entry/899/
「まぢ 5月2日」http://blog.yumekosan.com/Entry/896/ から始まった「まぢシリーズ」
「まぢ 5月3日」http://blog.yumekosan.com/Entry/898/ を経て
さあ いよいよ5月4日!
出産します!(タマゴを産むみたいだわ)
あまりにすさまじいので、
いちばん苦しいあたりは省略して さらりといきましょう♪
5月2日に分娩室入りしてから 分娩台二泊目。
回転せず、ひっかかったままだった長男が、
4日の00:13にようやく生まれてくれた・・・
まぢ うれし~~! (;'∀')/ ハァ~~・・・
正確に言えば、引っ張り出そうとして入れた吸引器が
それがまた引っかかり 出て来なくなった・・
それで 吸引器をまず産まなければならなくなったので、
実際 私は何人産んだのでしょうか・・・(*ノωノ)
食事していない体力で 陣痛は微弱となり、
(あれは点滴とはいわない、流し込みの)陣痛促進剤のせいか、
休みのない痛み。)
「陣痛 休みがないんですけど」と助産婦さん(昔はこういった)に言うと、
「それはありえません。気のせいです。」と却下され、
ええ~っ?!だって・・そんなぁ と思いつつも
片手を縛られて固定されていたので、片手出産(/ω\)
なのでよけいに力が入らない・・・・n n n n ・・
生まれそ~!!という自然な出産ではなく、
子どもの方も、自力で出て来る体力が残ってなかったのでしょうね、
先生が、「じゃあ そろそろやりますか?・・」と立ち上がって、
「せぇの~!はい、もう1回!! え?もうダメ?」と
音頭をとられての「産み出す」肉体労働だったので、
ようやく産まれてくれたときは、
ああ やった~~~! と同時に 私の体力も限界・・・。
そこに 先生の一声!
「はい~っ!! あと2人・・・・か、3人~!」
・・私・・・ガクッ・・・マヂデスカ・・・・(/ω\)
先生もこういわないと、自分を元気づけられなかったのでしょう。
ところで やっと生まれた「第一子♂(オス)」(黒板かホワイトボードにそう書かれた)
あまりに 静か・・・
先生たちが わが息子のからだを ぺしゃぺしゃたたいている!
泣かない と言っている・・・え? エエっ!?? まぢで??!
(わたし 痛いと言わなかったのにぃ⤴??)
「どうして この子は泣かないんですか!?」と
私が大声で叫んだとたん、
その言葉、待ってました~!とばかりに、
「おんぎゃ~~~!!」と泣いたのです。
・・ああ・・よかったぁ~~・・・
さぁて あと2人・・か・・3人、ガンバロ (:_;)
その頃 麻雀をやめたのか、終わったのか、
おっとりがたなで病院にやってきたダンナサマ、
分娩室の外の廊下から、事態がのみこめないまま、突然の応援!
「ガンバレ!ガンバレよ!」と言ってくれるのはいいが、
そこ、まぢ 私の分娩台じゃないから!!
国立病院の分娩室は10台くらいも分娩台があって、
私のあとから来た人たちも、どんどん産み終えて出ていく。
ウチのダンナサマは、隣の人の出産を応援して、
産み終わったその人のストレッチャーについて病室まで行き、
「よくがんばったね、ごくろうさん♡」とねぎらったというから、
あとから聞いて 大爆笑!
その方は、「ドチラサマ?」と思いつつも、
うれしかった・・か・・どうかは不明。
そちらのダンナサマと、かちあわなくてよかったこと~!(゚Д゚)ノ
出産直後の騒動になるところだったヨ・・まぢいよ、それ。
ところで 事態はそれどころではない!
二番目の子は、せ~の!とがんばったところ、
逆子(さかご)で 片足だけ先に出てきてしまった・・(゚Д゚)ノ
もう片足は胴体についているから、バレリーナ状態!
先生方は、股関節がはずれる・・といいながら、のんきに
「この足は、右足か左足か」などと言いあっている。 まぢ?
右手で握手できるのは左足だ!などと発見する人がいたりして、
「そろそろがんばります?赤ちゃんの足、チアノーゼ起こしてますよ。」と・・。
私に相談しないでっ!
45分の格闘の末、「第2子♀(メス)」(と書かれた) 誕生!
「男、女ときたから、次はどちらでもいいね」と言ったのは、
先生だったか・・・。
やれやれ と汗を拭く間もなく・・
「早くしないと、次の子あぶないよ!」とおどされて、
残っている(いや残っていない)ちからをふりしぼる!・・・
三人目にして、やっと普通に出てきてくれた「第3子♂(オス)」・・・
途中で (忘れもしない)ダンナサマの差し入れのタマゴサンドを、
助産婦さんが 私にしゃべらせる間を与えず、
次から次へと 口にねじこんでくれるのだけど・・・
叫びたかったのよ~!私
「このタマゴ いたんでます~!」って。 まぢです!( `ー´)ノ
いっしょに用意してもらった牛乳は、
結局 私の口には入らず、造影剤代わりに胎盤の中に流し込んで
撮影用に使われてしまったのでした。
(食べ物のことは よく覚えているものです。)
お腹の中で、どれだけ窮屈で どんな姿勢でいたのか、、
生まれ方を見てもわかるというもの・・・
お腹の中の3つの袋、それぞれにお水、ひとりでも窮屈だろうに、
足など揃えてお行儀よくいることも、出ることもできなかった・・
ああ きつかったね~~ (:_;)
そのときです!!
「先生、まだ心音が聴こえます!」
「ややっ やっぱり 四つ子だったか!!」
と、先生方 騒然!
私、ふぇぇ~・・・(*´Д`)
結局 子宮雑音であることがわかり、
さて それからがまた・・・
それはまた苦しい話なので そこもさらりと。
学会に発表するために胎盤を破損しないように と、
胎盤の用手剥離、そして2時間半もかかった麻酔なしの産道縫合・・
(ずっと子宮口が3cm以上開かないようにしていたので、
3回の人工破水で産道をいっぱい傷つけていたようで)
その途中、弛緩出血をおそれて、何度もおびただしい量のガーゼの出し入れ。
私 「△×〇×△××△×~!!」 (あ・・失礼しました)
先生「こんなの痛くないでしょ。あんなのに堪えられたんだから」
私 「いnや、先生は縫われたことないから・・そんなこと・・いう・・んです。」
麻酔なしなので こんな会話ができたのです。(汗)
すべてが終わった時の先生の言葉。
「いや~~~! 女って ほんとうに 強いですね~~~!」
今さらいう?そんなこと、・・(泣)・・。
「麻酔を打たなきゃできないことだけど、
麻酔を打つと 二人目三人目が仮死状態になっちゃうから、
麻酔なしでやるからね!
歯をくいしばれ!! 気を失うな!!」と喝をいれられながら、
15分おきに 生まれるまで続けられた処置は、
そのたび三つ子ごと体が宙を飛んで、いきみ棒に頭をぶつけていたから、
たんこぶだらけではあったけれど、あの約束があったから
「痛い」を飲み込んで ひたすら堪えたのよ~わたし・・!(/ω\)。
そして
「最初の1300グラムのお子さんは、脂漏に包まれた胎児のままの状態なので
助からないと思います。男と女の双子だと思ってください。」
「第3子のお子さんは、頭がどこかに圧迫されていたのでしょうね。
頭蓋骨がえぐれていますから、脳に損傷がないといいのですが・・。」
と告げられて、
将来バレリーナになれるかもしれない逆子(さかご)の第2子♀については、
なんの宣告もなかったのでした・・・・。
「生まれつきの脊椎分離症」という診断をもらった私は、1週間後、(無事に?)
腰が立たない状態で、2400グラムで生まれた娘をつれて退院しました。
帰った家は、入院中にダンナサマとその友人たちで引っ越しをしてもらっていたので、
その日はまず、隣り近所への あいさつまわりから。
近所に友達も 知り合いもなく、
きょうだいも 親もなく・・・(はい・・ドラマみたいでしょ)
どの部屋にも 荷物が積み木崩しのように積みあがっていて、
一部屋は麻雀部屋と化していて、
引っ越しの片づけと、その晩からひとりでお風呂入れがはじまったのでした。
その1週間後に 2220グラムで生まれた次男が、
そのまた1週間後には 1300グラムの長男が帰ってきて、
(この子は私の手のひらサイズ、ガラケーほどの大きさでしたよ。)
その後の1年間は、1日1食1時間睡眠の生活が続くのですが、
それは出産前の2か月間、食べない、寝ないの練習済みだったからできたこと。
(人生はちゃんと前にリハーサルがあって本番があり、
その本番は、また次のリハーサルになっている・・うまくできてますね。)(*^-^*)
それにしても、三人の赤ちゃんを4畳半に寝かせると・・・
ガラス窓どころか、壁を水が流れます。 まぢ
当初、エアコンはありませんでしたから。
おとな用のふとんに三人並べて寝かせたら、
ふとんどころか、畳までカビます。(◎_◎;)
子どもももちろんカビ・・じゃなくて一晩でアセモです。
昼は行水(ぎょうずいと読みます、シャワーはない)
夜はお風呂、ひるよる必死に アセモ対策。
450枚の布オムツも洗濯機も フル回転!
これみんな ひとりでこなしていました。
だから 1日1食1時間睡眠。
肉体的には大変でも、気をつかわずにすんだので楽だったのかも。
そういえば 退院して10日後くらいに、
子どもたちを寝かせたまま、バスに乗って布団を買いにいきました。
子ども用の敷布団3枚、かけ布団3枚、ドーナツまくら3つ・・
布団カバー用の布60mくらいだったか・・
大急ぎで、あっというまに買っていく私に、お店のひとが、
「どこの保育園ですか?」と聞いて(笑)
荷物がいっぱいなので、帰りはたぶんタクシーに乗ったハズ。
でも、その間の心のさわぎよう・・・一刻も早く帰らなきゃ・・・
家には赤ん坊だけなのですから!
その時の気持ちをおもうと、今でもドッキドキします。
買い物も、どこまでいっていたのでしょう。
車はないので、いつも走っていました。
だから、団地の中にco-opの店舗を作ることに奔走しましたよ~。
ああ、なつかしいなぁ。
ちなみに 三卵性は、 三つ子の中でも 1/11。
(1月11日じゃあなくて 分数です)
そのうち全員助かるのは 3割
(残りの3割は全員助からず、4割は1人か2人が助かる)
その頃は そんな数字でした。
我が家のこどもたちは、
やはり「奇跡」でした。
いくつもの難関をかいくぐって生まれてきてくれたこと、
ありがたくて、ずっと私は献血をしつづけました。
今 生きていてくれるということは、
それからもずっと「奇跡」が続いているということ。
生きてるだけで、 みんな誰かの役に立ってる!
それだけで 親孝行!
いま家で寝ている息子にも、
私はどれだけ成長させてもらっていることでしょう。
こどもの性格は、環境や育て方でつくられるのではなく、
はじめからそれぞれ違ったものを持っていることを、
三つ子を育てて知りました。
どの子も それぞれ個性的。
親の愛の「条件付け」に気がつくように、
こどもがやんちゃをしてみせるときも、
子どもに親は愛されています。
未熟な私だから、親として選ばれたのです。
これからもまだまだ、いっしょに育っていきたいと思います。
ー子どもたちの 42歳の誕生日によせてー
42歳 おめでとう
あなたたちをこの星にいざなうお役目、
ありがとうございました。
誇りに思います♡
あなたたちがどんなふうに生まれてきたかを
書き残しました。
いっしょにここまで生きてこられたこと、
このうえないしあわせです。
母 ゆめこ 7月で66歳
(毎年 年を重ねていくのが自慢です♪)
いっぱいの愛と感謝をこめて
お友達の大石由紀子さんに、
以前「ママにうたう子守歌」という歌詞をお渡ししたところ、
ステキな曲になって、あるコンサートではアンコール三回といううれしい噂を聞きました。
(大石さん夫妻は、ハンドベルの奏者であり長年たくさんの人に指導もしていらっしゃって、合唱曲の編曲者でもあり、声楽家でもあり、世界のオルゴールの収集家でもある。)
先日の夜、またおもしろいタイトルの詩がきたので、
夜中に大石さんにこっそりメールで送ってみました。
驚いたことに、翌朝「できました!」という返信。
え?もう?ビックリ~(^^♪ うれしい~!♡
「気に入ってもらえるといいんですけど~」というご謙遜つき。
ありがとうございます。
どんな歌になったのか ワックワクです(^^♪
皆様も どうぞ お楽しみに♡
同時に振付の動作までおりてきたので、
待ちきれずに歌詞を発表してしまいます。( *´艸`)
ぎゅっ! は 私と孫たちのあいさつです。
子どもたちや、親子や、介護施設でも
みんなで「ぎゅっ!」してくれるといいな♪
夫婦も 親子も
学校も 会社も 国と国も
世界中に ぎゅっ!(ハグ)が広がったらいいな♪
(動作) ぎゅっ のところで お子さんをだきしめる
または両手で自分をだきしめる
立っているときは 同時にひざを軽く曲げる
(体操にもなりますね)
「ぎゅっ」
1. だっこっていいね
りょうてでむねに ぎゅっとして
めとめでわらって ぎゅっとして
ぷくぷくおててで ぎゅってしてくる
2. おんぶっていいね
りょうてでかたに ぎゅっとして
ママはあんよを ぎゅっとして
もうじきねんねね あんよがあつい
3. あかちゃんっていいね
おっぱいのにおい ぷんとして
ねんねしながら わらってる
ゆめでもてんしと ぎゅってしてるの?
(1番を もういちどくりかえし)
またまた無許可で載せてしまうこの写真は
娘からの昨年の私の誕生日祝いです
写真屋さんで写真を撮ってもらうのも初めてなら
娘とこんな「ぎゅっ」をしたのは・・・ええと・・・40年に近い昔のこと
おとなになった娘とは 実は初めてのことでした
平和は まず家族の「ぎゅっ」から
孫との気づき日記「ゆめばあばのひとりごと」から
「ゆめばあばのひとりごと」は
2010.02.12
そらが生まれたその夜から始まりました
(絵は「誕生」)
《この星にようこそ》 2012.02.12
真っ白なあなたのこころに
この星はどんなふうにうつってますか
初めての呼吸は うまくいきましたか
そのからだは 気に入りましたか
なにをしたくて だれといたくて
あなたは この星をえらんだの?
まぶしそうに目をひらき
のけぞるようにしてあたりをみる
こんにちは この星にようこそ
待っていたわ 私がわかる?
私をみつめ 目をしばたたき
さらに見る その目がうるんでいるよ
おもいだしたよ 知っているよ
やっと会えたね 約束どおり
何度も何度も おともだちだよ
また会えたね この星にようこそ
ようこそ この星に!
ようこそ わがやに!
「ゆめばあばのひとりごと」は
2010.02.12
そらが生まれたその夜から始まりました
(絵は「誕生」)
《この星にようこそ》 2012.02.12
真っ白なあなたのこころに
この星はどんなふうにうつってますか
初めての呼吸は うまくいきましたか
そのからだは 気に入りましたか
なにをしたくて だれといたくて
あなたは この星をえらんだの?
まぶしそうに目をひらき
のけぞるようにしてあたりをみる
こんにちは この星にようこそ
待っていたわ 私がわかる?
私をみつめ 目をしばたたき
さらに見る その目がうるんでいるよ
おもいだしたよ 知っているよ
やっと会えたね 約束どおり
何度も何度も おともだちだよ
また会えたね この星にようこそ
ようこそ この星に!
ようこそ わがやに!