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Yumeko
「人の心に灯をともす」より
https://ameblo.jp/hiroo117/entry-10463876702.html
【親切の輪】
南蔵院(なんぞういん)、林覚乗(はやしかくじょう)和尚の心に響く言葉より…
北海道新聞の切り抜きに、ある中年男性の投書がありました。
終電車の発車間際に切符なしで飛び乗り、
車掌さんが回ってきた時に、切符を買おうと
財布を出そうとしたが、財布がなかった。
小銭入れもない。
どこかで落としたのだろうか。
途方にくれたけれども、そのことを正直に車掌さんに言いました。
「すみません。明日、必ず営業所まで行きますから、
今日は乗せてください」
ところが、この車掌さん、よほど虫の居所が悪かったのかどうか、
許してくれない。
次の駅で降りろ、と言うのです。
次の駅で降りても家に帰る手段はない。
ホームで寝るにしては、北海道の夜は寒すぎる。
どうしようもなくて困っていたら、
横に座っていた同じ年格好の中年の男性が回数券をくれたんです。
お礼をしたいからと言って、その男性に名前や住所をたずねたけど、
ニコニコ手を振って教えてくれない。
最後は借りたことを忘れて、なぜ教えてくれないのかと文句を言ったら、
次のような話をしてくれたんです。
「実は私もあなたと同じ目にあって、
そばにいた女子高校生にお金を出してもらったんです。
その子の名前を何とか聞きだそうとしたけど教えてくれない。
『おじさん、それは私のお小遣いだから返してくれなくて結構です。
それより、今おじさんがお礼だといって私に返したら、
私とおじさんだけの親切のやり取りになってしまいます。
もし、私に返す気持があったら、
同じように困った人を見かけたらその人を助けてあげてください。
そしたら、私の一つの親切がずっと輪になって北海道中に広がります。
そうするのが、私は一番うれしいんです。
そうするようにって私、父や母にいつも言われてるんです』
と私に話してくれました。」
『心ゆたかに生きる』林覚乗・西日本新聞社より抜粋転載
それにしても、驚くほど見事な女子高生だ。
同時に、彼女を育てた、ご両親も素晴らしい。
受けた恩を、受けた人に返すのは、「恩返し」。
受けた恩を、受けた人にではなく、
別の人に返すことを、「恩送り」という。
恩送りは、見返りを求めずに、
見知らぬ人に受けた恩を送る。
損得を考えず、ひそかに善行を行うことは、
現代ではあまり、はやらない。
善行をひけらかし、免罪符とする有名人も多い。
本当は、お金の多い少ないや、
事の大きい少ないではなく、自分のできる範囲で、
密かに行う小さな善行こそが、徳積みだ。
「潜行密用(せんぎょうみつよう)は、
愚(ぐ)の如(ごと)く魯(ろ)の如し」
という禅語があるが、
密かに、目立たずに行うことは、
愚(おろ)か者のようでもあり
、間抜けのようでもあるが、それでよい、
という意味だ。
たとえ、愚か者で、間抜けと呼ばれようと、
密かな徳積みができる人になりたい。
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三つ子を持って言えることは
人間の性格は 環境で決まるのではない ということ
こんな性格になったのは
環境のせいだと思っていたのは まちがいでした
生まれたときから 違う性格を持ち
オムツをあけた時の匂いまでが それぞれだった
同時にお腹にいて 同じ環境で育ち
同じ時に 同じミルクを飲んでも
腸内細菌が違うのでしょうね
消化のされ方が違う
興味が違うから 同じものを見ても
喜怒哀楽の感情が違う
食欲から がまんの度合いも違う
三つ子でさえ こうなのだから
ましてや 違う時期に 違う親から生まれて
違うものを食べて 違う言葉を聞いて育った夫婦や他人が
自分と同じであることのほうが奇跡だ
違っていてあたりまえなのだから
時折り意見があったときには
お祝いのカンパイ!!をしてもいいくらい・・・
そんなことを思う今日 9.11でした
その人を失ったら
その人との学びはできないよ
おたがいに この変化の時を選んで生まれてきて
せっかく巡り合った人なのだから
その人との違いを そのまま受け入れて
自分の間口を広げ 赦し愛する学びを
おもいきり楽しみましょうよ♪
はい~!
深呼吸~!
さあ ここからだよ~♪
戦争はイヤだ!
ミサイルなんて許せない!
と
あなたも 戦っていませんか?
これだけ長く戦い続けて
まだ この星で戦いますか?
地球上から吹き出している
これからの世界に不要なエネルギーにふたたび翻弄されて
まだ 自分の怖れという敵と戦いますか?
お友だちのお義母さんが 孫たちに
ひとりごとのように言っていたそうです
「なんで よってたかって みんなでぎゅうぎゅうしめつけるんだろうねぇ
何か困っていることはないかい❓って聞いてあげたらいいのにねぇ」
なんてブラボーなおばあちゃん!!
わたしたちは
生まれた場所で
育ったように
見てきたことから
自分を護るために
いつもせいいっぱいで
そうであるしかないのです
その時点において
そうするしかない理由があって
みんな いつでも 本人において正しいのです
「あなたが間違っている!」という思いが
あらゆる戦いのエネルギーです
乱暴者のいじめっ子を
みんなでいじめることが
わたしたちの望む社会でしょうか?
暴れて みんなの言うことをきかないものは
殺すしかないのでしょうか?
暴れる人には 暴れる理由があるのです
私たちには そこから学び
進化する計画があるのです
これからの世界に
何がたいせつで 何を手放していくのか・・・
この星は すべての生命が
共存共栄出来るだけの資源があり
「愛と調和」の見本として創られた星
この星の出来事は
ひとりひとりの思いが集まった集合意識で
創られています
今までと同じ選択を
わたしたちはまだ続けるのでしょうか
自分と他人の分離の時代から
もうそろそろ「私たち」という統合の世界に
意識を変えていきませんか?
見るべくは
「何をしたか」ではなく
「なぜ そうしたか」
キーワードは
「ひとの痛みに 寄り添う気持ち」
こどもたちは
大人のやり方を じっと見ています
「抱き参らせる(いだきまいらせる)」
孔雀明王の働き
いままさに この星に顕現する
1~2年前 彼の「ワレワレハ宇宙人ダ」から
彼のシュールな笑いにはまってしまい
しばらく読者になって毎日ゲラゲラ笑っていたことがあった
しばらくぶりにつながったので読んでみた
芸人さんのお笑いには さっぱりな私だけれど
笑いのツボは人それぞれらしい
私のツボはここにあるようだ
上田啓太さんのブログから
【「ワレワレハ宇宙人ダ」に込められた気遣い】
(これは下にコピペしました)
感想としては
これは朗読には向かない
読んでみればわかる・・・いや読めない
笑いすぎてということもあるが・・
読めるものなら 声を出して読んでみて欲しい
こちらで爆笑したあなたは
私とおなじツボだ
そんなあなたには こちらも紹介したい
「美容師が悟りをひらくとどうなるか」
http://diary.uedakeita.net/entry/2016/10/04/102424
いま この星には
笑いが必要だ
笑ってくれたらいいなぁ
笑ってほしいなぁ
笑ってください
(上田啓太さんのブログから)
【「ワレワレハ宇宙人ダ」に込められた気遣い】
「ワレワレハ宇宙人ダ」
宇宙人というのは、そう自己紹介することになっている。
いつからそんな話になっているのかは分からんが、宇宙人は銀色の体と大きな頭を持ち、宇宙船で地球に降り立ち、「ワレワレハ宇宙人ダ」と自己紹介することになっているのである。
初めて聞いた時、私はこのセリフに感動した。
宇宙人というのは本当にすごいと思った。
さすがは宇宙船を作るだけある、高度な文明をそなえているだけあると思った。
感動の理由を説明したい。
逆の立場で考えてみればよい。
遠い未来、文明を発達させた我々が別の生命体のいる惑星に着陸する。
異変に気づいた生物たちが、警戒するような表情で我々の宇宙船を見守っている。
そこでの第一声。
ここで「我々は宇宙人だ」と言えるか?
「我々は地球人だ」と言ってしまうのではないか?
はじめて降り立った惑星で未知の住人に自己紹介するという状況で、宇宙人は「ワレワレハ宇宙人ダ」というかたちで、相手の立場に身を置いて自己紹介している。
この気遣いがすごいということである。
ハサミを渡すとき、刃でなく柄のほうを向ける。
対面で話をするとき、「相手から見て右」というふうに調整して話す。
そんなことをさりげなくできるのが「気遣いのできる大人」ならば、着陸後の第一声で「ワレワレハ宇宙人ダ」と言える宇宙人は、まさに気遣いのできる大人である。
光線銃を渡すときも、きっと銃口じゃないほうを向けてくれることだろう。
普通、自分の星の名前でも言ってしまいそうなものだ。
「我々は地球人だ」と言うほうが、ずっと自然なのだ。
だからこそ宇宙人の気遣いはすごいのだ。
気遣いのできない宇宙人ならば、着陸後の第一声から、
「ワレワレハ ンゴジパャメヴゲ第六星人ダ」
とか言うだろう。
我々は「ん、なんて?」となるだろう。「ごめんもう一回!」となるだろう。
万一聞き取れたとしても、ンゴジパャメヴゲ第六星人にまったくピンとこないし、第六星人ということは第一星人から第五星人までもおり、第七や第八もいるのかもしれないが、結局なにひとつ分からない。
それに、これは我々の言語における自然な発音の域をこえているから、ンゴジパャメヴゲという名前を、ンゴジャメパヴゲとかンゴジヴパメャゲと言い間違える可能性もあるだろう(というか、読んでいて何が違うのか認識できなかったはずだ)。
名前を間違えることは初対面におけるタブーだから、絶対にやってはいけないが、むずかしい。
「ンゴジャメパヴゲではない、ンゴジパャメヴゲだ」と訂正されても、「ん、なんて?」である。
田中と田井中のちがいは簡単に認識できる我々も、ンゴジャメパヴゲとンゴジパャメヴゲのちがいにはお手上げなのであり、初対面でいきなり険悪な雰囲気がたちこめてしまう。
気遣いのできる宇宙人は、こういったことを完全に理解している。
だからこそ、いきなり固有名を出すんじゃなく、割り切って「宇宙人ダ」と自己紹介するのである。
そうして交流を深めていき、銀色の体をペタペタさわっても怒られないほどに仲良くなり、向こうは向こうで我々の肌色の皮膚をペタペタさわって不思議そうな顔をし、最後は肩を組んで歌まで歌い、そうなったときにはじめて、
「俺さ、宇宙人って言ったけど、正確にはンゴジパャメヴゲ第六星人なんだ」
こう言ってくるのだ、気遣いのできる宇宙人は。
それならばこちらも頑張って発音を練習するだろう。
おまえは最高の奴だから、俺の最高の友だから、最高の奴の最高の星の名前は、文化的に無理のある発音でもしっかり発音したいから!
そしたら向こうも感動して、
「ありがとう! 俺、ンゴジパャメヴゲ第六惑星の、レングフアイヴレォイ!」
ここでまたちょっと試される。
あっ、名前は名前でそんな感じなんだ。
そりゃそうか、星の名前があれだもんな……。
しかし最高の友なのだし、銀色のからだをペタペタさわらせてくれたし、目がでかすぎることをイジリ倒したときも笑顔のままだったし、光線銃を誤射して宇宙船に焦げ跡ができたときも「いいよいいよ」で済ませてくれたし、本当に気のいいやつなんだから、銀河をこえた我々の友情は永久に不滅なんだから――
「ちなみに下の名前は、グヴァレンボボゥェイポィンペウグァウンンゥツォポッポッポェ」
このへんで「やっぱいいや」となりますね。
物事には限度ってものがあります。
すみやかに帰ってください。さよなら、宇宙人。
(二日目 お寺にて。楽しそうに飛び回るちょうちょに「ここに来て♥」と言ったら来てくれました。このあと、鼻にチュッ!として飛んでいきました。みんなの肩にも手にも来てくれました。)
おかげさまで
かっこちゃんのイベントとともに
秋の原画展も終わりました
何度も足を運んで 励ましてくださった皆様
遠くからも応援してくださった皆様
お買上げくださった皆様
心のこもった贈り物をくださった皆様
いつも私の絵を飾らせて下さっているSpaceはぴここさん
心から感謝申し上げます
ありがとうございました
最終日が はぴここの5周年記念イベントで
5年間も常設展示場として使わせていただいているだけで奇跡なのに
大好きなかっこちゃんの講演会を
はぴここさん主催でやっていただけるなんて
幸せすぎるプレゼントでした
おかげさまで かっこちゃんの二日間の講演会も
感動のうちに終わりました
かっこちゃんの素敵さは
小さい時に 比較や競争の中で
いつのまにか忘れてしまった
つながっている感覚を 忘れずにもっていて
それをそのまま生きていることでした
宇宙のすべての中のひとつとして
そのまま生きている・・
目に見えるものを どう感じるか・・
かっこちゃんと話していると
時々 かっこちゃんが
だんご虫だったりミミズだったりするような・・
いつも 目の高さが 子どものときと同じように
向き合うものと同じ高さなのだなぁと感じます
そして 「どうしてそうなんだろう?」と考えるのは
科学者の脳だったりして
そしていっしょに痛みを感じるのは
どのいのちの中にも生きているひとなんだなぁって・・・
だから かっこちゃんに会うと
みんな優しい気持ちになって
自分は自分で これでいいんだなぁって思えて
必要なものは全部与えられていて
それを使って生きていけばいいんだなぁと思えて
安心して帰っていくのだなぁ・・・と
しみじみそう思えたことでした
わたしはこの二日間 しあわせなことに
間近でかっこちゃんの目を
じっと見つめる機会を何度もいただきました
いま思うと かっこちゃんの目は
花やちょうちょのように やさしくてあどけない反面
マザーテレサや 修行を積まれたお坊さんのような
静かな強さと厳しさをたたえているように感じました
ミッション(使命)をしっかり生きていらっしゃる方だなぁと
尊敬をさらに深くしました
最後にお食事をご一緒させていただいた時に
かっこちゃんの
「理屈ではない『わきあがる思い』をたいせつにしている」という言葉が
とても心に残りましたので
それを皆さんにもシェアさせていただきます
「わき上がる思い」です!
すべてに感謝いたします
合掌