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HN:
Yumeko
今日は 瀬戸龍介さんご夫妻と
日光の「光のしずく」に伺いました
日光国立公園の端にある
隠れ家のようなお食事どころ
https://creative-dish-199.business.site/
有機栽培野菜のお料理はもちろんのこと
なにより 作り手のこころが伝わってくる
驚きのおいしさ
川のせせらぎとうぐいすの声に
癒された時間・・・
なにもかも
ごちそうさま・・・
秋には 広葉樹の葉が落ちて
雑木の森の向こうに
大正天皇の御用邸に引いていたお水場の小屋があり
その奥杉林の向こうには
二荒山神社、東照宮、輪王寺の二社一寺が・・・
お水のきれいな お清めの場所
そして 冬には
ここは真っ白な雪景色を
薪ストーブのお部屋から堪能できるようです
ここで8月24日には
私のお話会も計画して下さっています
また伺えるのが
本当にたのしみです♪
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おともだちに勧められて
きょうは久しぶりに めずらしく一人で
この映画を観にいってきました
「海獣の子供」
映画館についたら なんと
おともだちが あっちにも こっちにも
約束もなしに 6人の仲間が集まりました
アニメの世界って すごいなぁ!
言葉に表せないものを見せてしまう!
現実より圧倒的なスケールで・・・
ジュゴンに育てられた兄弟 ウミとソラ・・・
「 宇宙の起源 生命の起源・・・
みんな宇宙全体の一部だから
みんなおんなじもので できている
わたしもあなたも おなじ
わたしは 宇宙だ・・・ 」
これは前からずうっと私が話していることでもあるね
そして先日 ある人から送られてきたインド哲学の本の原稿に
書かれていた非二元論にも同じことが・・
主人公が飲み込んだ隕石
宇宙を飲み込み 外と内側が一体となって
宇宙とつながり ひとつになって
「音」は体の外と中が共鳴し
「音」を発する者でもあり 聴く者でもあり
海でもあり くじらでもあり
音でもあり 歌でもあり・・・
自然 人間 他の生命体を含むすべては
宇宙全体であるものが その一部を体験していて
他の存在にとっては お互いに
登場人物や 背景の一部や 環境の一部や
自然の一部となっている
しかも
本当のことを だれもおぼえていない・・・
自然の「音」から聞き取る耳も退化してしまった
それは
「音」から「言葉」をもったからかもしれない・・・
分離 二極の学びのために
それは必要だったのだけれど
ようやく 「言葉」ではなく
感じて「音」を聴きなさい というところまで
戻ってきたのかな
そうすれば
みんな同じで みんなひとつだということを
思い出すから って
この原作者は 「音」を聴いたのだろうな
脚本家も監督もアニメーターも みんな
お腹の隕石がふるえたのだろうな
アニメの世界に圧倒されながら
そんなことを思っていました
まとまりのないわたしの感想ですが
まだの方は どうぞ ご覧になって下さい
アニメーション映画「海獣の子供」予告編
https://www.kaijunokodomo.com/?fbclid=IwAR0kVA2IDlyCP0bcIaS5Q8DCurlVKGe1iqSUI3jEiZz7-up8_TzPywdo2yI
三島市のサントムーン柿田川では
今週いっぱいという話もあります
毎日異なる時間で1日1回の上映です
確認してくださいね
参議院選の期日前投票に行ってきました。(*^^*)
何かを、どちらかを「選ぶことができる」ということは、
究極の豊かさです。
特に女性が「選ぶ権利」を得るために、
勇気ある女性たちが、長い長い闘いをしてきました。
ようやく手にした たいせつな権利を、
二度と失うことのないように、
毎回しっかり行使しましょう!
お母さんは お子さんの手を引いて、
選挙に行きましょう♪
おとなになったら これが当たり前のことだと
こどもに示してください。
歳をとった親やご近所さんの手を引いて、
選挙に行きましょう♪
子どもが将来 それを真似るでしょう。
子どもや年寄りの手を引いて出かける選挙こそ、
これからの政治の指針になるでしょう。
弱者に目を向ける政治は
平和に向っています。
投票に行く私たちひとりひとりが、
政治家です。
本当にありがたいことに
信じられないことに
私が今回この星に来て
今日で70年の歳月が流れました
唐の詩人 杜甫の詩の
「人生七十 古来 稀(まれ)なり」
から来る「古稀」・・・
待ちに待った70歳♪
四捨五入ではなく
正真正銘の70歳です♪
たくさんの辛いことや悲しいことで
涙もたくさん流した・・と思いますが
過ぎてしまえば
あの辛さも あの悲しみも
それがあっての今の私です
ともにここに生まれて
私に葛藤させてくれた人たちが
私をここまでいざなってくれました
ここというのは
なにかがあっても なくても
感謝で生きられる今というところ
「無い」ということも
「有る」ということも
すべてが完璧でした
本当にありがとうございました
そして これからもありがとうございます
67歳の生前葬「出発のつどい」から三年・・
あの日お世話になった方から
「三回忌はやらないのですか?」
と言っていただいて爆笑したのですが
まさに きょうが三回忌です
三年前のアルバムをめくりながら
さらに感謝を深くしています
(アルバムの一部をまとめたものがこちら↓です。
興味のある方は、ご覧ください。)
「ゆめこさん 出発のつどい」感謝の記録
http://blog.yumekosan.com/Entry/1177/
会場設営も後片付けも
全員お気に入りの華やかなお洋服のお客様でした
奇跡のイベントでした
1ページごとに 感謝がわいてきます
「誕生日」
誕生日は
感謝の日
誕生日は
母がいのちをかけて
身をふたつに分けてくれた日
父が両手を合わせて
祈ってくれた日
祖父母 親せき 友人が
こころを寄せて案じてくれた日
あなたの産声で
みんなも新たに生まれた日
その日 それぞれが
母となり 父となり
祖父母になり 叔父叔母となった
誕生日は
その 記念の日
誕生日は
みんなの感謝の日
きょうも世界中で
だれかの 誕生日
毎日が 感謝にあふれる日
ありがとう
おめでとう
やっとここまで来た
みんな違って生まれてくる
同じことをするためではない
みんな同じだけ価値がある
何かが苦手だったら
違う何かが得意だ
すごく苦手が有るなら
すごく得意が有るはずだから
それを探して
得意なことで ひとを喜ばせて生きる
そうするために
生まれてきた
それは 何かができることではなく
できないというあり方で
ほかのひとの愛をひきだす役割だったり
病気をもちながら 自分の体と闘うことなく
受け入れて笑顔でいる強さだったり
無いというありかたで
豊かさに気づかせてくれたりもする
何かが足りないように見えるときは
全く新しい視点で
真実大切なものを見つけるチャンス
そのチャンスを与えるために
子どもたちが意図してこの星を選んでいる
[ADHDを障害や病気と診断せず、才能へと導く方法を米の心理学者が発表]
https://selectaus.com/adhd-is-gift/?fbclid=IwAR0zDoiH-Sk1GELqnghPuQSLfL1E-iz8JpRzl3UYN_E7MhKKAVfuSAfd5JY
画材の棚から
懐かしい・・というか
忘れていた絵が出てきた
どこからか送られてきた6本のパステル・・
たぶん黒は使っていないから5色で描かれた絵
1997年7月12日と書いてあるから
おそらく 初めて手が動いて描いた6枚の絵の6日後・・
これが7枚目の絵なのだろう
6枚の絵とトーンが違うのは
藍色の紙に描いているから
どの絵もそうなのだけれど
私の手が描いているけれど
描いたのはだれ?というような・・
こんなに昔の絵は さらに
誰かが私の目を通して
この地球を見回して
「わぁ~!」とか「へぇ~♪」とか言いながら
写真を撮るように
書き写している気持ちが伝わってくる
「地球はこんなところです!」って
どこかの星に着陸して
そこの写真を撮っている探査機のカメラみたいな・・・
不思議な気持ち・・・
価値の無い人なんて いません
ひとはみな
どこかに宝物を秘めて生まれてきます
まだ 発見できていなくても
いまからが楽しみです♪
もう発見しているひとは
宝物はひとつではないかもしれません♪
子どもも おとなも
もちろん あなたも
無限の可能性を秘めています
この子に どんな価値があるのか
そのための道具はどこにあるのだろう?と
子どもを 親の価値観や期待で見ないで
ありのままの子どもをしっかり観察すると
子どもはヒントをくれます
時間を忘れるほど 熱中している時
目がキラキラしている時
体中で感動して叫んでいる時
宝物のはしをチラッと見ることが出来ます
同じように 大人同士でも
この人のどこに宝物があるのかを
同じ方法で見つけることが出来ます
あなたの宝物をみつけるのにも
それは有効です
自分や誰かの宝探し
宝が宝石ならば
その原石同士で
お互いにお互いを大切にして
毎日ていねいに磨き上げていく
あなたも
家族も
社会も
価値ある人たちの集まり
(2015.07.13)
(絵は「光の旅」)
嫉妬もいいじゃないですか(*^^*)
それだけ愛している 執着している
期待しているということです
嫉妬も愛情のひとつの側面
「愛情」は 愛されたいか愛したいかの2つです
子どもにも 愛されたいだけでなく 愛したい欲望があります
お母さんをどうしたら笑わせられるか・・
このプレゼントは喜んでくれるだろうか・・
と考えたりするのも愛したい願望です
愛したい願望と 愛されたい願望が願望通りにならなかったとき
その感情は 怒りか悲しみになります
相手のせいにするくせのある人は 怒りになり
自分のせいにする人は 悲しみになります
同じ出どころからくるこの2つの感情は
悲しみの中で 突如激しい怒りに変わったり
怒りの中で 突然悲しくなって涙が出たりしますね
自分の愛情が思い通りにならない時
その気持は「あの人は愛されていいなぁ」という妬みや嫉妬に変わったり
それが続くと「なぜ私ばかりこんなつらい思いをしなくちゃならないのか」
と憎しみに変わったり
憎しみから恨みになったりもします
つまり 私たちのあらゆる感情は
愛したいか 愛されたいかの「愛情」が変化したもの
私たちはあらゆる愛の形を体験して 味わって
自分をみつめて発見していくプロセスを歩いているんじゃないかしら
渦中にあるときはとても苦しいけれど
そういう意味では計画通りにとてもうまく進行しているね と
あなたの魂はうなづいているように思います
愛したい愛されたいという感情は
「情」つまり「こちらの思い・願い・期待」がくっついた
条件付きの愛・・「愛情」なのですね。
あなたがこうしてくれたら私は幸せなのに・・・。
この子がこうだったら私は安心なのに・・・。
私のことだけを見ていてくれたら私はうれしいのに・・・。
「あなたのために言っているのよ!」
「あなたを愛しているからに決まってるじゃない!」
と言いながら でも・・あれあれ
このイライラはなんでしょう?
おやおや・・・「愛情」は 書いてみると
相手の幸せを望んでいるというよりも
「私を心配させないで!」
「私に悲しい思いをさせないで!」
「わたしの思い通りにして!」という
自分が幸せでいたい「自己愛」?
(自己愛がいけないわけでは決してありません)
これは期待が入っているので怒りや悲しみになって
ケンカのエネルギーにもなりますね
愛情いっぱいの家族は
よくケンカもするわけです
それはそれでいいのです
それでは 「愛」とは
期待しない愛とは
自己愛ではない愛とは
「相手が いつ どこで だれと 何をしていても
その人が幸せであることが私の喜びだ・・・」
「無条件の愛」などといいますが
「こうしてくれたらいいけど こうじゃあいやだ」という条件が
「愛」には初めからないということです
「神様 宇宙 全体であるもの」が もし「愛情」であるならば
私たちはその条件や期待に応えられないと
裁かれ 罰せられることでしょう
私は「神様 宇宙 全体であるもの」は
「愛」であると信じているので
私たちの自由意志と自由選択によって味わっているあらゆる感情を
「よく味わっているね 生きているね よく学んでいるね」と
目をほそめて観ている意識を感じます
そして いずれきっと 私たちが
怒りや悲しみ 憎しみさえも
いだき参らせる「愛」を思い出すことを
信じて待たれているのを感じています
私たちは そこから来て
またそこに還るのですから
だから私は思うのです
存分に 味わいなさいね
そのために 来たのですから