こちらのひとりごとは日付昇順に表示されます。
* はじめに *
こちらは日付昇順に表示されるブログです。
ブログ(通常版)は下のURLをクリックしてください。
また、最新の記事もブログ(通常版)でご確認ください。最新記事がこちらのブログに反映されるのにタイムラグが生じることがございます。
http://blog.yumekosan.com
また、最新の記事もブログ(通常版)でご確認ください。最新記事がこちらのブログに反映されるのにタイムラグが生じることがございます。
http://blog.yumekosan.com
* カテゴリー *
* ブログ内検索 *
* プロフィール *
HN:
Yumeko
(つながっているいのち)
1996年、今から15年前の3月11日、
私は米国アリゾナ州のセドナにいました。
セドナがどこの国にあるのかも知らなかった私にとって、
導かれて始まったあの旅は、毎日がミラクルの連続でした。
信じられないような出来事はとても書ききれないので、
いつかまた お話会などで おいおいお話ししていくことにして、
今日はその中でひとつだけお伝えしたいことがあるのです。
ポピの村を訪ねたときのこと。
白人によって彼らは住んでいた土地を追われ、
貧しくも信仰深く戦わずに生きることを選んで、
何度も、どこまでも、追い払われて、
不毛の土地に甘んじて生きてきたと聞いています。
彼らは、神様からの言い伝えで、
「大地を掘って、ひょうたん(ひょうたん雲→原爆のこと)をつくってはいけない」
と言われていましたが、
白人の命令で、その土地のウランを掘らざるを得ませんでした。
そのために、彼らもいまだに白血病やガンに苦しんでいます。
日本が被曝する以前に、彼らが最初の被曝者になっていたのでした。
とある小さなみやげもの屋さんに入ったときのこと、
その店のおじさんが私に「日本人か?」と聞くのです。
「そうです」と答えると、おじさんは帽子をとって、
「ごめんなさい」と言うのです。
「どうして?」と聞くと、
「私がウランを掘って、原爆を作った。」と頭を下げるのでした。
ウランを掘ったのは彼ではなくて、彼の親の代でしょう。
としたら、かれらも被曝者として、また被曝二世として苦しんできたはず。
自分たちの国のやったことは、自分がやったこととして、
日本人に対して責任を負う、その姿勢に強くうたれました。
そしてそれは、広島の平和公園に刻まれている
あの言葉に通じるところがあると思いました。
「安らかに 眠って下さい
あやまちは 二度とくりかえしませぬから」
この言葉が被曝地に掲げられていることが、
私の 日本人としての大きな誇りでした。
被害者ではなく、「私がやりました」という、
人類としての責任感を日本人はもっているという誇りです。
被曝して66年目、日本は三度目の被曝です。
放射性物質は、日本だけでなく、
たくさんの国の空や海を汚染しました。
空が汚染されるということは、呼吸する空気だけでなく、
森や土や地下水を汚すということです。
川や海が汚れるということは、生態系が壊れるということです。
セドナのみやげもの屋のおじさんの、一旅行者の私への深いわびの心や、
あの広島を生き残った人々が、亡くなった人たちに誓ったように、
「あやまちは 二度とくりかえしませぬから」という思い、
「それは、私がやりました。」という、その時そこに生きた者としての反省が、
どう生かされて、何を選択していくのかを、
今 世界中が日本をじっと見つめています。
日本は、あの原発事故から半年もたたないうちに、
泊原発を稼働させることを選択し、許可しました。
私は、少なくてもセドナのあのおじさんに、
たくさんの「ごめんなさい」を言わなければなりません。
「あなたや動物たちの吸う空気を汚して ごめんなさい。
土や水や食べ物を汚染して ごめんなさい。
そして あなたのたいせつなひとたちを
これからも不安にさせて ごめんなさい。」 と。
(追記)
泊発電所3号機は、2011年3月7日に調整運転として再稼働し、8月17日に正式な営業運転に移行したが、2012年5月5日23時3分定期検査のため停止された。定期検査は71日間かけて実施される予定であったが、原子力安全委員会の再稼働許可が出ていない。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%8A%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80)
PR