こちらのひとりごとは日付昇順に表示されます。
* はじめに *
こちらは日付昇順に表示されるブログです。
ブログ(通常版)は下のURLをクリックしてください。
また、最新の記事もブログ(通常版)でご確認ください。最新記事がこちらのブログに反映されるのにタイムラグが生じることがございます。
http://blog.yumekosan.com
また、最新の記事もブログ(通常版)でご確認ください。最新記事がこちらのブログに反映されるのにタイムラグが生じることがございます。
http://blog.yumekosan.com
* カテゴリー *
* ブログ内検索 *
* プロフィール *
HN:
Yumeko
(前日の「まぢ 5月2日」http://blog.yumekosan.com/Entry/896/に引き続き)
「奇跡の誕生」と言っていただいたので思い出しました。
それ以前にもまだ 奇跡があったのです。
22歳で3つの婦人科系の病気があったため、
6か月間 あの痛いホルモン注射を打ち続けても快癒せず、
東京〇〇大学病院に紹介されて、そこで子宮摘出手術を受けることに。
その時、卵巣の機能を調べるために、(結果によっては卵巣もとってしまおうと)
絶対不妊と思われていたせいか、
「排卵誘発剤です」という説明もなしに、通常の倍量の薬を処方されました。
その薬の名前を知ったのは、無事子どもが生まれてから、
子どもへの遺伝性がないかどうか知りたくて、
先生に「あの薬はなんでしたか?」など、
箇条書きの質問状を出したときの返事でした。
その前の半年間続けていたホルモン注射とその誘発剤によって、
1か月後の診察予約日に妊娠が分かった時、
子どもを持たない人生設計に変更していた私はもちろん、
先生はさらに 相当ビックリでした。(゚Д゚)ノ
子どもたちは 私の子宮と卵巣と、
地獄のような生理痛から私をまもってくれました。
妊娠がわかる前から私の状態は異常で、酸欠 呼吸困難。
大学病院の大混雑の待合室の長椅子に
申しわけないけれど ハァハァしながら寝て待つ始末。
どれだけ息を吸っても、酸素が足りないのです。
家では、ダンナサマが吸うタバコが苦しくて、
窓にかじりついて「私の・・酸素を・・とらな・・いでぇ~!」と
まぢ 叫んでいましたよ。
(今なら自分で酸素吸入しますけど)
千葉からバスと電車を乗り継いで、
ひとりでよく東京の病院にたどりついたものだと思います。
その翌月の診察予約日を待ちきれず、1週間後にまた行って、
「もう・・ここまで・・来られま・・せん・・・」といって倒れ込みました。
下を向けば口からも鼻からも胃液が出てしまうような、
筋肉酸素が足りなくて歩けないような状態を見て、
「何度きいても心音がきこえないし、これは妊娠ではなく、胞状奇胎です。
母体があぶないので、すぐに処置しましょう!」ということに。
ところが、手術に入る直前に、確認のためのドップラーに
誰かの心音が、かすかに入ったのです!!!
「いるよ~!ここにいるよ~!」って必死だったでしょうね。
それで掻把されずにすみました。
病院を近くの国立病院にかえてもらって、
ひどい悪阻は終わることがなく、
歯茎はビラビラに浮き上がって
バナナを食べても出血する・・
妊娠6か月目には 臨月のお腹。
最後の2か月は 眠らず 食べず
(胃はどこかにはりついてしまったので、
す~っぱい夏みかんと赤ちゃん用のミルクを飲んでいました。)
歩けず 座れず ああ 着られるものがなく・・・(>_<)
(男性用のLサイズのゆかたなら大丈夫だろうと・・mmm
前が重ならない・・オシイ・・っていうか・・ザンネン・・アリエナイ・・)
マジックでお腹に「ここが子宮破裂します」という×印を何か所もつけられて (*_*;
腹囲135センチ、子宮口3センチひらいたままの状態を2か月間もちこたえて、
ようやくの5月2日だったのです。
難関をいくつも突破して 予定日4週間前、
ようやく ここまで たどりつきました。
どれだけ生まれたかった子どもたちでしょう!
先生に「1人助ければいいでしょう?」などと言われて憤慨して、
「足が悪くても 目が見えなくても、
命だけは全員助けてください!
そのかわり 三倍苦しくても、「痛い」「苦しい」はいいません。
痛い苦しいと言ったら、そのたび1人ずつあきらめますから!」
と 宣言してしまっていたので・・・。
きょう5月3日は 昨夜遅く陣痛室から分娩室にうつされて、
陣痛促進剤はもはや点滴ではなく「流しっぱなし状態」で、
合間のない痛みの・・まだ死闘のまっただ中・・。
そうして明日の誕生に至るのです。
まぢ 死にもの狂いの 42年前の いま!
つづきは
「いよいよ まぢです!5月4日!」http://blog.yumekosan.com/Entry/899/
PR